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天道流の始祖は、
斎藤判官伝鬼房(さいとうほうがんでんきぼう)である。
今から約440年前、伝鬼は常陸国(ひたちのくに)
井手(茨城県)に生まれ、
塚原卜傳(つかはらぼくでん)の門に入り
刀槍の術を学んだ。
大勢の門弟の中で群を抜いていたが、
技の未熟さを深く心に感じ、
鎌倉鶴岡八幡宮に百日参籠(さんろう)をなしました。
天正9年11月21日の満願の夜。
夢の中に探し求めていた剣の妙技が記された
一軸の巻物を天から授かり、
誠にかなう妙技を得、一流を興してこれを『天流』と称し、
後に『天道流』と改めた。
これにより、諸国を巡り修行を重ね、
京都ではその剣名が上聞に達し、
『一刀三礼』の秘剣を天覧に供したと言われている。
諸国修行を終えて郷里井出に居を構えて名声を馳せたが、
霞神道流・真壁道無の門下、桜井大隈守と決闘、
射殺される。
その際に示した矢切の術を『一文字の乱』と言い、
今なお天道流の基本とされている。
伝鬼房の最期を見届けた弟子の小松一卜斎が
伝鬼房の実子、法玄にこの技を伝え、
法玄は二代目を継承し、その流儀は現在まで薙刀、
二刀、剣、鎖鎌、小太刀などとして伝承されている。
斎藤判官伝鬼房(さいとうほうがんでんきぼう)である。
今から約440年前、伝鬼は常陸国(ひたちのくに)
井手(茨城県)に生まれ、
塚原卜傳(つかはらぼくでん)の門に入り
刀槍の術を学んだ。
大勢の門弟の中で群を抜いていたが、
技の未熟さを深く心に感じ、
鎌倉鶴岡八幡宮に百日参籠(さんろう)をなしました。
天正9年11月21日の満願の夜。
夢の中に探し求めていた剣の妙技が記された
一軸の巻物を天から授かり、
誠にかなう妙技を得、一流を興してこれを『天流』と称し、
後に『天道流』と改めた。
これにより、諸国を巡り修行を重ね、
京都ではその剣名が上聞に達し、
『一刀三礼』の秘剣を天覧に供したと言われている。
諸国修行を終えて郷里井出に居を構えて名声を馳せたが、
霞神道流・真壁道無の門下、桜井大隈守と決闘、
射殺される。
その際に示した矢切の術を『一文字の乱』と言い、
今なお天道流の基本とされている。
伝鬼房の最期を見届けた弟子の小松一卜斎が
伝鬼房の実子、法玄にこの技を伝え、
法玄は二代目を継承し、その流儀は現在まで薙刀、
二刀、剣、鎖鎌、小太刀などとして伝承されている。